「発掘 レトロ洋楽館 松坂屋少年音楽隊楽士の奇跡」を読んでみた

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「発掘 レトロ洋楽館 松坂屋少年音楽隊楽士の奇跡」

「名古屋は芸どころ」と呼ばれているのを聞いたことがあります。

例えば、大阪のお笑い芸人が東京に進出する前に、名古屋で活動し、人気がでたら東京でもウケると言われていて、名古屋は日本制覇のためのリトマス試験紙みたいな所と言われています。

またX Japanも名古屋市西区の庄内緑地公園で、まだ有名になる前によく演奏していたようです。

しかし今の大須演芸場には、お客の入りは少ないような・・・・。

セシル英会話に通う生徒さんから、1冊の本をお借りしました。

発掘 レトロ洋楽館 松坂屋少年音楽隊楽士の奇跡

面白そうだなと思ったのが、

「東京フィルハーモニー交響楽団」のオリジナルが「いとう呉服少年音楽隊」、つまり名古屋の「松坂屋百貨店」の前身で、そこの音楽宣伝隊から誕生したというのです。

日本のオーケストラの元祖です!

時代はなんと明治末からになります。

この本では、大正から昭和に活躍した、いとう呉服少年音楽隊メンバーのバイオリニストが残したアルバムと写真の裏に残した手記を元に、当時の様子を紹介した内容です。

「発掘 レトロ洋楽館 松坂屋少年音楽隊楽士の奇跡」

英会話ができるようになってみたい子どもから社会人までサポートしている、セシル英会話の安田です。

明治の名古屋の栄に、今もある松坂屋が初の百貨店としてオープンしました。客の呼び寄せに、音楽隊を結成したのです。

クラッシックを演奏し、多くの客でものすごく盛り上がったようです。

それから彼らは、高校野球の開会式にも演奏しています。

この歴史が面白い。

第1回センバツ高校野球大会は、1924年4月。

開催場所は甲子園ではなく、名古屋市昭和区滝川町にあったという山本球場で行われていました。

そして当時はアメリカの曲、「The Stars and Stripes Forever:星条旗よ永遠なれ」を入場行進曲として演奏していました。

そして大東亜戦争に近づくと、アメリカの曲から「愛国行進曲」に変わりました。

1.
見よ東海の 空あけて
旭日(きょくじつ)高く 輝けば
天地の正気(せいき) 溌剌(はつらつ)と
希望は躍る 大八洲(おおやしま)

おお晴朗の 朝雲に
聳(そび)ゆる富士の 姿こそ
金甌無欠(きんおうむけつ) 揺るぎなき
わが日本の 誇りなれ

2.
起(た)て一系の 大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に 戴きて
臣民我等 皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)はむ 大使命
往け八紘(はっこう)を 宇(いえ)となし
四海(しかい)の人を 導きて
正しき平和 うち建てむ
理想は花と 咲き薫(かお)る

3.
いま幾度(いくたび)か 我が上に
試練の嵐 哮(たけ)るとも
断固と守れ その正義
進まん道は 一つのみ
ああ悠遠(ゆうえん)の 神代(かみよ)より
轟(とどろ)く歩調 うけつぎて
大行進の 往く彼方
皇国つねに 栄(さかえ)あれ

今じっくり聞いてもいい歌詞ですね〜。

そして、

1923年大正12年に関東大震災が発生しました。

情報が遮断され、デマやフェイクニュースが流れて人々が不安になりました。そのことへの反省から、ラジオ局の開局を望む声が高まりました。

初のラジオ局の場所が、中区の丸の内中学校近くで、以前は「衛戍監獄(軍の刑務所)」があったところでした。名古屋のど真ん中に刑務所があったのには、驚かされました。

さらに同じ頃、

中部地域初のレコード会社が生まれ、大曽根にあった大工場の中にあって、日本初の国産レコードが発売されたのでした。

当時の録音風景の写真がこの本にあり、参加メンバーの女性が和装で演奏していたのを見ることできます。

音楽の役割は人の心を癒やすとともに、戦争とは切っても切れない関係です。

日本のオーケストラ、吹奏楽の始まりは、幕末の薩摩藩軍楽伝習隊。

そして大正時代、海軍、陸軍の軍音楽隊は日本を代表するプロの音楽団体でした。

その陸軍は吹奏楽へ進み、海軍はシンフォニーとなりました。

今の自衛隊の音楽隊のレベルもものすごく高いです。歴史があるんですね。

昭和初期には、いとう呉服少年音楽隊から名前が色々と変わりながら、東京でも演奏しています。

そして名古屋初の近代的大ホールの名古屋市公会堂や御園座でも演奏をし、昭和10年ごろには、オペラや歌劇も上演され、彼らは満州でも慰問演奏しています。

その後、盧溝橋事件を皮切りに日中戦争が勃発します。

傷ついた兵士を癒やすためや戦場に向かう兵士を鼓舞するために彼らは派遣されたりし、大忙しだったようです。

しかし戦争のため百貨店の経営が縮小の憂き目にあいました。そこで楽団隊の解散、もしくはスポンサーがいなくなることになります。

つまりこの音楽隊の名古屋での活動が難しくなっていまいました。

さらに勝機を見出すために、名称を完全に変更することになりました。

そして活動拠点を東京に移すことに決意。

それがその後の「東京フィルハーモニー交響楽団」へと発展していきました。

当時に活躍した大音楽家の名前がこの本には沢山記載されていますが、私自身の勉強不足のため、この本の面白さの半分ぐらいしか味わっていないけど、名古屋の芸どころである理由の一つを垣間見ることができました。


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安田 英承

1970年、日本国生まれ。「セシル」代表。英会話スクール、留学斡旋、翻訳・通訳業務、日本語教室運営を名古屋中心に行っている。韓国人と日本人のハーフで、妻はアメリカ人。1児の父。ハーレーとアメ車好き。 別アカTwitterで「ハーレー英会話」してます。

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