中学・高校・大学の英語の入試は必要か?

英語教育

「日本人は英語ができない。」

「会話レベルが低い。」

そんなふうに言われているのは、日本の学校の英語教育や内容が悪いからだ批判されていますね。でも、私は高校や大学入学のための英語の入試試験があることによって、日本の英語教育が変わらない、だめにしている元凶だと思っています。

 

そんな中、岐阜市では、小学1年生から市立の全小学校で英語を「科目」として実施していて、ある程度中学でも成果がでているようです。

小学校の授業の内容として、

<1・2年生> ・「英語に慣れ親しむ」年間18時間程度の英語活動

<3・4年生>・「進んでコミュニケーションを楽しむ」年間35時間の英語科授業

<5・6年生>・「進んでコミュニケーションを楽しむ」年間35時間の英語科授業

そして、中学校では、年間140時間の英語の授業の内で53時間、ALT(外国語指導助手)と共に学び、学生の英語力が伸び、外国語指導助手と英語を学ぶことが楽しいようです。

楽しく英語力が身につくことは学生にとって素晴らしい環境だと思う。

そんな学生たちも、中学を卒業するときには、高校入試が待ち構えており、ALTとの楽しい授業とは裏腹に勉強モードにならざるおえなくなります。

そして、高校卒業には、大学入試の英語が待ち構えております。

一般的に大学入試までの間、小学1年生から高校3年生までの12年間、英語の勉強ができる環境が日本にはあるわけです。

そのような英語環境があるのにも関わらず、「日本人の英語のレベルが低い」と海外からも言われています。海外の教育機関で「なぜ日本人の英語力は昔から変わらないのか?」と頻繁に質問をされます。

そんな質問に対するわたしなりの答えは、「英語が日常生活で必要ないし、一般的な学校では、英語を学問として勉強すること、そしてそれは入学試験に合格することが目的で、実践的英語力を上げることが目的ではないから」と答えています。そんな私の答えだから、どの国の人たちも「I see.」で終わります。だって勉強している期間の長さより目的が問題だからです。

この英語力とは、「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能です。

日本の英語教育、学校で行われている授業内容に関して、ここでは触れません。なぜなら、学校の英語の先生はやらなければならない、指導しなければならないことをやっているからです。

英語が実際に使えるようにという目的で、先の小中学校の授業には、正規の英語講師とは別に、ALTを導入して、学生が英語を実際に使う能力、特にコミュニカティブ英語に重点がずーと置かれています。

以前は、英語の知識に重点が置かれていました。つまり読み書き文法重視。

そのような影響から、英語の知識に対する重要性が以前より低くなっているので、必然的に英語能力も低くなってしまいました。なぜなら英語の知識がないのに、どうやって英語で会話ができるのでしょうか?

 

英語の入試の本来の目的はなんでしょうか?

世の中の流れから、英語の入試が、「知識を問う問題形式」から、英語を「使う能力があるかどうか」を問う形式へシフトしています。

そもそも本当に英語の入学試験は必要か?

受験を控えた中学生や高校生にとってみれば、英語の入試がなくなれば、ラッキーと思う学生と、英語が得意な学生にしてみるとブーイングが起こりそう。

でも高校入試や大学入試ばかりでなく、最近は中学入試でも英語が全国的に導入されつつある状況から、おそらく今後ず〜と英語が入試科目として消えてなくならないのは明らかです。

であれば、学生が入試対策としてやることは、

  • 単語帳をつかって単語量を増やし
  • 文法(中学3年間で学ぶ内容)をマスターし、
  • 長文読解(たくさんの量を早く正確に内容を理解する)
  • リスニング(聞き取る)

はこれぐらいでしょうね。これらをコツコツと練習していく必要があります。そして、晴れて希望校への合格ができるかもしれません。

でもですよ、この目的は入試に合格することです。つまり学校へ入学すること。

 

英語の入試を実施する学校サイドの目的はなんでしょうか?

それは、学校や大学側にすれば、学生のふるい分け(合格・不合格)です。

ある一定の学力が受験生に無いと、学校の授業を理解できないという理由であれば、納得できます。

 

でも、なぜ英語が必要なのでしょう。

英語受験の本来あるべき運用方法として、大学の英文科や一部の高校や中学校にある国際科など、各受験者の英語を理解する能力を測る目的であれば、英語の入試は必須でしょう。

特に大学の英文科は、英語の文献や文学などの理解を深めていく学問なので、英語ができない学生が入校しても、授業についていけないからです。だから、大学側から、「この大学では、学生にXXXぐらいの英語能力がないと、授業を理解できません。よって学生を振り落とすための入試をします」とはっきりと明記すれば、その大学への入学を目指す受験生にとって、とてもわかりやすい!

従来型の英語入試で十分対応できていると思う。

 

高校や大学の他の学部は受験者の英語能力を測るテストを実施しているのか?

受験生が一般的な入試に合格した時の英語能力というのは、何を基準にしているのでしょうね。

入学後に、学校の授業が英語で講義が行われているためとか、英語で学生同士が討論する必要性があるという理由ではないでしょう。

単に、中学や高校で学んだ英語の内容を理解しているかを試すための試験なのか?

いずれの理由にしても、未だに高校・大学入試がコミュニカティブに重点を置いている英語力を測る試験になっていなし、入学後に必要な英語力も学校側は定義していない。つまり入試自体が基本的に昔から変わっていない。

学生の本音からすると、学校で身につけた12年間のコミュニカティブ英語が入試には役に立たないことがわかっているので、ALTとの英語の授業も真剣味がなく「楽しい授業」、「英語は楽しい」で終わってしまうわけです。結局、先の従来型の勉強法で入試対策をし、彼らの英語の勉強の目的が入試のためになります。

学校側の英語入試の目的がはっきりしないから、受験者側も、「受験する学校に英語入試があるから」と、ただそれだけ理由で勉強せざる負えない。

だから今の現状をよく理解していて、将来への明確な目標をもっている学生は、「入試のための英語の勉強は単なる無駄な時間」と考えています。でも今の現状、英語の入試を避けて通ることができないので、何かを犠牲にする必要があるわけです。何を犠牲にするかというと、そうです、文部科学省が必死に推進したいコミュニカティブ英語です。目の前に迫る従来型の英語入試対策のほうが大切になるのは至極当然でしょう。

ここの大学が入試システムを変えられないのは、何か重大な欠陥があるか、官僚主義か。

ここの大学が入試システムを変えられないのは、何か重大な欠陥があるか、官僚主義か。

 

今後の英語教育のために今すること・できること

学校側が、受験生の英語力を測る試験を持ち合わせていないのであれば、すぐに廃止すればいいのです。それだけ。それも、東京大学が英語の入試を率先して廃止にすればいいのです。すると他の大学もあっという間に廃止になります。

なぜ従来型のテストにこだわるのか?半ば諦めか?もしくは学校側が入学する学生の英語力は期待していないからか?

英語の入試が廃止になれば、小学1年生から英語を科目として導入する必要もないし、ALTの導入も必要なくなります。だから今の学校の一部の英語講師も変わらなければなりません。従来の指導では学生の英語力を上げることができないからです。現職の能力のある先生たちで十分学生の本来持つべき英語力を上げることができるはずです。

パッチワークのようなハリボテ式の改革ではなく、日本の学生が学校で英語を学ぶ目的をもう一度考える必要があると思う。

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安田 英承

1970年、日本国生まれ。「セシル」代表。英会話スクール、留学斡旋、翻訳・通訳業務、日本語教室運営を名古屋中心に行っている。韓国人と日本人のハーフで、妻はアメリカ人。1児の父。ハーレーとアメ車好き。 別アカTwitterで「ハーレー英会話」してます。

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