セシル英会話スクール(CECIL English School)の誕生秘話についてお話しします。
はじめに私の父親の話から。なぜなら父が起こした会社だから。
父は韓国生まれの韓国人です。朝鮮戦争で国全体が荒廃した小さな村の長男として、一家を支えるために、私の祖父の姉が、日本ですでに生活をしていたこともあり、20代の時に来日することになりました。
日本語もできない父がわざわざ日本に来た理由は、当時、国中が破壊され夢も希望もなかったと聞きました。日本は朝鮮戦争の経済効果から高度成長へと向かう、希望のある国と見えたのでしょう。
でも、太平洋戦争から続いている韓国人に対する差別は当時でも半端がなく、ソフトバンク社長の孫氏が日本での人種差別の苦労話を語っているように、彼らにとって地獄でもあったのです。今の韓流ブームなんて考えられなかったのです。
そんな彼らにまともな就職先もなく、父に関しては、特に日本語がろくにできなかったので就職にはまったく不利。韓国の家族への仕送りは、お先真っ暗な状態でした。
諦めず求職中に、アメリカの百科事典会社の日本支社になんとか、採用されることになります。仕事の内容は、百科事典の訪問販売です。
当時の値段で何十万円もする本一式です。いまの時価総額で何百万円。
給与はフルコミッション、出来高制。毎月の給与なんてものはありません。売れなかったら収入無し。就業時間や就労規則も無し。やりたい放題。はっきり言って、ブラック企業です。だから私が小さいときは、私が起きる前に出勤し、寝た後に帰宅していたので、父の顔をみたら知らない男性が家にいると思って、大きくなるまで怖がって泣いていたんだそうです。
当時は、このようなブラックのような会社しか採用してくれるところが現実問題としてなかったのです。日本語もまともにできなかったのに、よく営業なんかの仕事に就いたなと、初めて話を聞いた時はあきれたと同時に関心したものだけど、とにかく必死だった、と。
決して流暢ではなかった日本語を話す韓国人が、他人の家の玄関をノックしながらの訪問販売。
地獄だっただろうな・・・・・
そんな状況でも、父の熱意が訪問先のお客さんに伝わったんでしょうね。なんと営業販売部数で世界一の記録を取ったことで、アメリカ本社に何度も招待され、受賞されるまでになりました。そのときには多くの部下を育て、最強の営業部隊を作り上げるまでになり、他の部署からわざわざ父のグループでいっしょに仕事がしたいという多くの営業マンにも懇願され、多くの人が父を慕っていたといいます。
日本語の上達のために韓国人独特の訛りをなくすための努力もしたみたいだけど、そんな父の功績を聞くと、アクセントとか、発音とかそんな表面的なことはコミュニケーションにとってそれほど重要ではないんだな〜、と思います。
その後、百科事典とその関係会社から英語教材を訪問販売することになりました。
韓国人が日本人に英語教材を販売。そんな人は日本にいなかったでしょうね?!
しばらくして、同僚と独立し、東京に本社があった英語教材を製作販売していたセシルの名古屋支社を立ち上げます。セシルオリジナルの英語教材の訪問販売を愛知、岐阜、三重と展開し、ものすごい量の売り上げをすることになります。
しかし、東京本社がすぐに倒産し、当時の同僚も辞め、このセシルをどうするかという時に、父のみが業務を引き続き、セシルの代表として運営していくことになります。
本社が倒産してしまい、在庫の教材も底を付き、これから何を販売していくのか?と思案していたところ、いままでに教材を購入したお客さまから、「せっかくいい教材を購入したのに、英語を使うところがないので、教室を開いてもらえないか?」と、各地域から依頼の問い合わせが出始めました。
父は、当時から「For You」の精神で事業を運営していたので、お客さまのためにスクール運営のノウハウも何もなかったけれど、教室場所の確保や日本人講師や外国人講師の採用などをすべて0から行うことになりました。オリジナルの英語教材を製作し、カリキュラムの作成、指導方法を画一し、お客さまの一声から、岐阜市に第1校を開講することになります。1983年のことです。
その後、今のセシルの基礎を築いていきました。
一韓国人が、お客さまのご要望から日本で韓国語のスクールではなく、英会話のスクールを開校なんて、ユニークでしょ!
そして、部下や講師の方にも恵まれ、一教室だけで800人以上の生徒を運営し、当時では珍しく、「サマースクール」や「サンデースクール」、「英会話キャンプ」など様々な企画をし、30教室以上開校することとなりました。
その後、父が大病を何回か繰り返し、一線を退いてから、私がセシルの代表として勤めています。
父の情熱を引き継ぎ、本物の英会話スクール、セシルで学べば、楽しく学べ、英語が話せるようになり、夢が実現できる!と言われるようなユニークなスクールを私、ハーフ韓国人が運営しています!