人に何かを教えることに興味があって、英会話講師になっている人が多いはず。でも、ただその中でも、教えるためだけを目的で講師になった人というのは、今後さまざまな問題が将来起こり得ることを分かった上で講師を目指していたり、理解している人は少ないと思う。
複雑で煩雑な問題に実際に直面して、「こんなことをするために講師になったのではない・・・」みたいな不満をぶちまけて、ストレスで泣いていた人、別の職場に変わった人など多くを見てきました。
でも講師として頑張っている人たちというのは、教えるという行為に関する興味と、そしてその「覚悟」があり、教えることに楽しさを感じていることと思う。
そのような講師は、それだけでは満足しないもので、「結果・成果」を見たい、追求したいものでしょう。生徒に教えたものがどれだけできるようになったか、将来よりよい有意義な人生を少しでも送れるようにしてあげたい、手助けをしてあげたいと思っているものです。
また講師としての個人的な願望もあります。例えば、英会話講師としてプライドを持ちたい、生徒ともっと意思疎通が図れるようになりたい、収入を増やしたいなど。
いろいろな思いが絡み合って、当たり前のことを当たり前のこととして、多くの講師は指導しています。
ただ生徒へ指導したことへの「結果・成果」を強く求める熱血さや、「授業で楽しく学んでもらいたい」という思いで、生徒への人気取りのためにゲームなどを授業中にして、本来の「学び」というものが、おろそかになっている講師もみかけます。
「バランス」の問題
これらの行為や思いも「バランス」の問題です。
熱血さ上の「結果・成果」を求め、授業中はほとんど講師が話していて、生徒は「聞いているだけ」。英会話の授業のはずが・・・・
子どもクラスにありがちな、生徒が先生の指導を聞かない場合(学級崩壊など)、注意を引くために子どもへのご機嫌取りをしたり、など。
人格・人徳
これらの正当なバランス感覚を身につけている講師というのは、人格、徳のある人だと思う。
そういう講師のもとで学んだ生徒は、スクールを辞めた後でも、その講師に会いにふらっと教室に立ち寄って来てくれたり、自分の近況報告やたわいもない話をしにその講師の元へ会いに行く、そんな人間関係が続くもの。
そのような講師が持ち合わしているものは、コミュニケーション能力。これがすぐれていることが、絶対条件だと思う。「空気を読む」ことに長けていて、教えるという作業の前に相当な時間を費やして準備をしています。これは、授業の準備、何を教えるかということだけではなく、教える生徒がどのくらいのレベル・理解力があるのかをしっかりと見極めた上で、指導しているはず。
そして少しずつ講師と生徒との間に信頼関係が構築できるように授業を進めることに専念する必要性がわかっているので、たまに授業中でも教えるべき内容より、生徒の「人生相談」みたいなときもあり、本当に大切なことを理解している人です。
なぜなら、生徒というのは、子どもであろうが、社会人であろうが、講師が教えることに疑いを持つ人は少ないものです。つまり生徒にとって多大な影響を与えるであろう存在になってきます。ものすごい責任があり、その期待への意図的な裏切りは許されないものです。
先の、何を教えるかということをしっかりと準備をし、どのようにそれらを教えるか、そして、教えたことをできるようにしてあげる「英会話できるようになるという結果や成果」を出してあげる技術と熱血、熱心さ、その一連の流れに沿って、講師と生徒(もしくはその父兄の場合)とのいろいろな問題に対処できる器、器量が講師には必要だということ。
これは別に英会話講師に限った話ではなく、会社の上司と部下の関係や親子の関係でも同じことだと思う。
安田 英承
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