語学留学のススメと、出発前までに日本でやっておくべきこと

英会話上達

シアトルで語学留学経験のあるセシルの安田です。私自身、海外での生活を通して、本当に良い経験をしてきました。いろいろなことがあったけど、とても充実していましたね。一番うれしいことは、いろいろな国の人たちと交友することができたことですね。この時の出会いは宝で、今でも大切にしています。

そして、帰国後は、私のスクールから日本から将来有望な子どもたちを連れて、シアトルの語学研修プログラムへの引率をしていた経験もあります。

まずは20歳そこそこのバカ息子を精神的にまた経済的にサポートしてもらった親に感謝します。また、今でも親交がある、当時アメリカで私の英語のサポートやいろいろなことを教えてもらった才能あふれる友人や知人に感謝です。

もし当時、海外へ行くことを止めて、そのまま日本で生活を続けている自分の姿を想像すると、本当に「ぞっと」します。本当に人生が好転した。

 

海外で一人で生活を一度は経験することをススメます。

そんな私の経験から語学留学についての考えや出発前に日本でやっておくべきことをお伝えします。

シアトルには私の父親の友人(韓国の学友)が韓国から移住していたこともあり、彼らの意見も伺って、シアトルへ行くことにしました。その後シアトルマリナーズにICHIROが入団し、日本からの観光客や留学生が一気に増えたような気がしました。

私は中学ぐらいから、「アメリカに行きたい」と、ほざいていました。というのも、小5か6ぐらいにアメリカ・ロサンゼルスに夏休みの間、母親と弟の三人で旅をした経験があります。しかし当時のことは全然覚えていない・・・。覚えているのは、おもしろい車がたくさん走っていたことぐらいかな?それと映画の「ET」のプロモーションぐらい。あといっしょに韓国系アメリカ人の兄弟と全然言葉が通じなかったけど、なんかとても楽しく一緒に遊んだ記憶が・・・そんなかすかな記憶。

でもなぜ「アメリカに行きたい」と言っていたのかよくわからない。そして高校生のときでは、「アメリカに行って、会社を起こして社長になる」なんてことを言っていました。一応当時、日本で大学の進学も考えていた。というのもまわりの友人は受験勉強に一生懸命だったから。でも全然本気で勉強なんてしていなかった。自分は早く仕事がしたいな〜とか、日本の大学に行っても、自分がしたいことが見つからないだろうなと、いろいろ考えていて、悶々としていた記憶があります。そんな態度だから、一応受験しても当然失敗。その後浪人することにし、予備校まで行ったけど、相変わらず全然勉強やる気なし。無駄な授業料を払ったな・・・・と。

今思うと、この時期の人生が一番無駄で最低だったと思う。

なんとかこの時期を抜け出し、いざ海外へ行く!と決めるとなぜか「イギリス」に興味があり、イギリスのことをいろいろと調べてみました。調べてみると、イギリス人は保守的な国民で、アジア人の自分にとってあまり馴染めないのかもと、勝手に思ってました。(今のイギリスと全然違いますよ)だったらアメリカにしようと、簡単に決めてしまいました。

若い時は、かなり楽観的で、後先のこと考えずに突き進む性格もあり、痛い目に合うことが多かったのですが、そんな失敗もすぐに忘れたので、今こんなブログで書いていても、そんな出来事をなかなか思い出せない。読者の皆さんが、同じような失敗をできる限り避けるためにも、思い出して紹介ができ、役に立ってもらえると嬉しいのだが・・・。

「行く!」と決めてから、自分でアメリカの語学学校の入学資料やビザの申請やら準備を始めることになりました。当然だけど書類関係は全部英語。全然わからないので、辞書を使って書類に書いてあることを訳したり、アメリカ領事館に行きビザをもらい、出したこともない国際郵便で入学願書を申請したり、また当時韓国籍だったこともあり、再入国申請を入国管理局に行って申請したりで、まったく慣れないことばかりだったが全部なんとか自力でできた。

そんなめんどくさーいことは、今は料金さえ払えば全てやってもらえる業者がありますが、私のスクールでは、できる限り全部自分でやるように勧めています。

なぜなら海外生活中、このような書類はたまに書かせられることがあるので、一度でも経験しておくとよい。

さて、「語学留学」をしたら英会話ができると思っているなら、ちょっと目を覚ましたほうがよいかも。

「語学留学」するからといって英会話ができるようにはなりません。

もしそんな考えだったら、たぶん日本の留学斡旋会社に踊らせれているか、あまり真剣に考えていないか、もしくは、単によくわからないだけでしょうね。

語学留学って、基本、朝から夕方までびっちり月から金曜日まで、英語で授業を受けることになります。英語漬け。学校のカリキュラムやプログラムによっては、アクティビティーがあり、シティーツアーや遠足など、興味深い内容のものがたくさん用意してある場合もあります。たのしいよ!

学校だけで学んだ英語では、英会話ができるようになるには全然不十分なのです。通学中に楽しく英語を学ぶだけでなく、せっかく学んだものを、授業後に学んだ以上の時間を使って実際に英語を話す機会を持たないとだめ。どれだけ英語を使ったかが、語学留学の醍醐味だと思う。

もしホームステイ予定で、そのホストファミリーに、小さい子がいれば、ベビーシッターとして、その子供と会話ができるし、ホストファミリーがホスピタリティーある人たちであれば、いっしょにショッピングなんてこともあるかも。そして学校からの宿題もいっしょに手伝ってもらえたら最高でしょうね。

私は人に気遣うことが苦手なのでホストファミリーではなく、学校の寮にアメリカ人のルームメイトと生活をしていました。(ルームメイトとは性格がまったく合わなかった・・・)だから授業後は寮に戻っても、他の学生に声をかけて、友達を作っていましたね。英語全然だめだったけど、いろいろと話をしてくれました。

当時は円高の影響もあり、日本人留学生や韓国人留学生が比較的多かった。今は中国人が非常に多いようですね。これはある意味、国の力を表すバロメーターのような気がする。発展途上国から来たベトナム人やカンボジア人の学生とも仲良くなったが、彼らはとても勉強熱心だったですね。

異国での滞在中、日本人や韓国人やロシア人など、同じ国民同士がたむろしやすいんですね。共通の言語が通じることが最大の理由でしょう。仲間意識がでてくるのか、日本人同士初対面でもすぐに仲良くなる。それは韓国人でもいっしょ。だからずーと同じ仲間といるから日本語でしょっちゅう話している場合があります。英語を使う頻度が急になくなります。

私は当時韓国のパスポート使って、日本で使ったこともない韓国人の名前でアメリカで生活していました。

先の父親の知人宅に、アメリカに入国当初、少しお世話になっていました。ご夫婦は韓国人の教会の牧師ですが、お二人ともアメリカ滞在歴は20年以上だったけど、英語は全然だめ。アメリカ生まれの一人息子が私と同じ年だった。その韓国人(本当はアメリカ人)の息子が、韓国語と英語を話しているバイリンガルを目の前で見た時は心底驚いた。「すげー!」って。日本でバイリンガルなんて見たことなかったから。

シアトルのUniversity of Washington近くに当時日本食レストランがあり、彼らが私を一度招待してくれました。そのとき、「TERIYAKI」っていう食べ物を始めて知った。食べてびっくり。なんて不味いんだ〜。甘いだけで、なぜこれが日本食なのかよくわからなかった。そのレストランのオーナーが韓国人だと知って妙に納得した。でもこの「TERIYAKI」が不思議と徐々に美味しく感じていくのです・・・・・

「TERIYAKI Chicken」なんて不味い食い物なんだと思っていたけど、美味しくなってくるんだよね〜。

「TERIYAKI Chicken」なんて不味い食い物なんだと思っていたけど、美味しくなってくるんだよね〜。

 

その一人息子はとても秀才で優しい男。日本人のような韓国人のような、へんてこな自分にもいろいろと優しく英語で教えてくれた。始めて彼に会った時の自己紹介に「My name is Hidetsugu Yasuda.」って紹介したら、全然理解してもらえず、「これからは韓国名で行こう。そしてニックネームも簡単に、「Young」でいこう。そちらのほうがアメリカ人に覚えてもらえやすくなるから」とアドバイスをしてくれた。使ったことがない韓国名とそのニックネームに違和感を感じながらも、そこから自己紹介にはこの名前を使うことになりました。そして韓国人としてのアイデンティティーを少しずつ感じていくことになります。

クラスメートや授業後に会う他のクラスの留学生、そして先生たちもみんな自分を韓国から来た留学生だと当初思っていたわけです。でも韓国語がまったく話せない。でも他の韓国人留学生はみんな私を「おもしろい奴」と思ったんでしょうね。でも韓国人としてリスペクトしてくれたこともあり、韓国訛りの強い英語を話すそんな彼らと、私自身英語を話す機会がとても多かったと思う。日本にいたとき、韓国人の同世代の知り合いなんかいなかったので、それもとても新鮮だったことを覚えています。

だから他の日本人はほとんど誰も私に気軽に日本語で話しかけてこなかったし、みんな英語であいさつしてきました。一通りあいさつが終わって別れるときに、耳もとで「私日本語できますよ」と言ったら、びっくりされたことが何回もあった。

滞在中に日本語に触れる機会を断つこと。

そんなたむろする日本人グループに一切交わらなかった日本人もいましたよ。初日から帰国するときまで一切日本語を話さなかった知人を知っています。英語も最初は全然タドタドしかったけど、頑張った甲斐があっただけ、上達度は他の日本人や外国人留学生とは違い、目を見張るものがあった。

もし今、少しでも海外へ行ってみたいと思っているなら、絶対に行くべし!

もし行くことになったら、英語はできる限り日本で勉強、そして英語をできる限り話すことに慣れておくことを絶対にお勧めします。

またの機会にもう少し具体的な語学留学についてお話しします。

Let’s get moving!

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安田 英承

1970年、日本国生まれ。「セシル」代表。英会話スクール、留学斡旋、翻訳・通訳業務、日本語教室運営を名古屋中心に行っている。韓国人と日本人のハーフで、妻はアメリカ人。1児の父。ハーレーとアメ車好き。 別アカTwitterで「ハーレー英会話」してます。

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